
2010年で21回目となる「野尻湖カップトライアスロン・ジャパンオープン」がいよいよ今度の日曜日7月4日(日)に開催されます。
今年はゆめ半島千葉国体長野県予選会を兼ねての開催です。

スイムは波が少なく穏やかな野尻湖、バイクはテクニカルなコーナーが多い
野尻湖周遊道路、ランは黒姫山などの山々と田園風景を望みながら走る
信濃町の自然を生かしたコースで熱戦が繰り広げられます。
2010年大会 【個人の部】 【リレーの部】 2種目での開催です。
この大会は2010年ゆめ半島千葉国体長野県予選会を兼ねています。
気力・体力そして走り抜く自信あるアスリート達が今年も熱戦を繰り広げます。
スタート、ゴール地点は野尻湖畔町営駐車場です。
午前8時30分スイムから順次スタートします。
どうぞ、みなさま熱い声援をお願いします。
コースマップはこちらをご覧ください。
コースマップ
野尻湖周遊道路は当日午前8時30分から12時00まで全面通行止めになり
午後12時00分から午後2時00分まで片側交互通行の規制があります。
大会当日は交通規制等ご迷惑をおかけしますがご協力をお願いします。
大会に関するお問い合わせは下記へ
野尻湖トライアスロン大会事務局
〒389-1392長野県上水内郡信濃町柏原428-2
電話(026)255-3114 FAX(026)255-4470
(5月上旬ごろの御鹿湿原)
高原が華やぐのは、雪解けの4月上旬から。
長い冬が終わりを迎え、一気に雪解けが進んできます。
まずフキノトウが地面から顔をだし、ダンコウバイ、フクジュソウ、コブシと次々に花が咲きはじめます。
4月下旬 御鹿湿原 リュウキンカが一面に咲き、コブシ、ヤマザクラが満開に、残雪の黒姫山とのコントラストは絶好の撮影ポイントとなります。
このころから御鹿池遊歩道の足元には可憐な山野草も順次咲いてきます。
5月上旬からはホテル アスティくろひめ前の斜面には水仙がまた、一面に咲き誇ります。5月中旬にはサトザクラが満開になり2度目の花見ができます。
6月に入ると黒姫高原の新緑が一層濃くなりそして6月下旬からは メルヘンローズガーデンの350株のバラが咲きだし7月中旬ごろに見ごろを迎えます。
続いて7月中旬~は一面のヤマアジサイが次々と青い花(がく)が咲き誇ってきます。
「日本一」と称される山アジサイは必見です!!
広大な高原に広がる山アジサイ。
一万株を超える山アジサイの群生は自生地規模としては正真正銘「日本一」です。

(7月中旬の山アジサイ)

(満開の山アジサイ)
黒姫高原はまさに花野招待席。
春から秋のシーズンは、悠久の時の流れのなかに、色鮮やかに野原を染める花々に出会えます。
やすらぎのときを求めて、花の黒姫高原を訪れてみませんか。
やすらぎの高原「黒姫高原」
信濃富士ともいわれる黒姫山。
この山麓に黒姫高原コスモス園があり今年は7月17日(土)~10月11日(月・祝)までの営業です。
ヤマアジサイは7月~8月上旬、コスモス、ダリア園は、7月下旬から10月上旬まで100万本のコスモスと世界のダリアが順次咲き競います。
この花園の周辺には、黒姫童話館をはじめ、御鹿池、地震滝、野尻湖、タングラムラベンダーパークなど、みどころがいっぱいです。
(5月中旬ころの水仙)

(5月中旬~下旬満開のサトザクラ)
(7月上旬ごろのメルヘンローズガーデン)
(7月中旬ごろ満開バラ園)

(山アジサイ)

(黄花コスモス)

(満開時のダリア)

(満開時のコスモス・ダリア)

(9月中旬の黒姫高原コスモス園)
オーストリア・ハンガリー帝国の武官、テオドール・フォン・エドレル・レルヒ少佐が日本の軍人にスキーを伝えて平成23年1月で100年。
1869年(明治2年)、オーストリア・ハンガリー帝国(当時)のプレスブルグに生まれました。 1910年(明治43年)に、訪日し、翌年高田町(現・上越市)の長岡外史師団長が率いる陸軍13師団に赴任しました。陸軍省を通じてレルヒがスキーの名手であることを知った長岡外史師団長は、 1902年(明治35年)に多くの犠牲者が出た八甲田山雪中行軍の教訓もあり、レルヒにスキーの指導を積極的に働きかけました。その結果、1911年 (明治44年)1月12日、「mettez les skis!(スキーを履きなさい)」とのかけ声とともに、日本で初めての組織的なスキー指導が行われました。これが、日本のスキーの始まりです。
日本で最初に組織的なスキー指導が行われた場所が現在の信濃町といわれています。
そして、全国の雪深い地域へスキーが伝わっていきました。
スキー伝来100周年となる2011年には、各地のスキー場では「100周年記念企画」が開催される予定です。
もちろん、信濃町では国内スキー大会の中でも伝統あるスキー大会「レルヒ記念杯スキー大会」我が国に初めてスキー術を伝えたレルヒ少佐が明治4 4 年、現在の国際村にある神山別荘で初滑りをしたといういわれに基づき、それを記念し開催されています。
来年で57回目になりますレルヒ記念杯スキー大会も黒姫高原スノーパークにて盛大に開催します。
(レルヒ記念杯スキー大会)
そして、黒姫高原スノーパークの冬の恒例行事である黒姫高原スノーフェスティバル
天然雪と光の祭典!冬の空に咲く「花火」「たいまつ」「雪」の幻想的な共演。
期間中様々な催しを開催予定です。
その他、記念の企画を計画していますのでどうぞお楽しみに!!

(樹氷に覆われた黒姫山)
信濃町の大規模スキー場開発
昭和41 年1 月に開業した黒姫スキー場と黒姫高原一帯の開発は、再建団体への転
落すれすれの財政運営を余儀なくされていた雪国の信濃町にとって、まさに宿願
の事業だった。きっかけは、そのわずか1 年前の昭和40 年12 月、黒姫山を指差
した日本国有鉄道長野鉄道管理局長の小泉卓雄氏が発した「あそこにスキー場を作
ろう」という言葉だった。伊勢見山スキー場開きに訪れた小泉氏は式典もそこそこ
に、松木重一郎町長が運転するジープに乗り込み、現地に赴くと雪の深さや雪質、
眺望などを確認し、開発を決意した。麓に戻った二人は、酒を交わしながらスキー
場開発に向けて話がはずんだという。そして小泉氏の「公共的資本で開発し、その
利益の還元は直接間接に地元住民が受ける」という開発理念のもと、開発が始まっ
た。国鉄と県、信濃町や営林局、そして観光開発会社がそれぞれの機能を持ち寄
り協力によって開業した黒姫スキー場の開発手法は、後に「黒姫方式」と呼ばれた。
保健休養地が分譲され、民宿やペンションが軒を連ねるなど、黒姫高原の開発は
大勢の観光客を呼び寄せ、信濃町の発展に大きく貢献した。
雪に苦しんできた住民の暮らしは変わりました。
その感謝や感激を忘れないようにと、松木寅治氏(山桑)が中心になり、昭和47 年12
月に「黒姫高原開発の碑」が建立されました。
あれから来年で45年が経ちます。
黒姫スキー場は黒姫高原スノーパークと名前を変え、いまも多くのファンの皆様に支えられ、皆様に愛されるスキー場として頑張っています。
来シーズンの黒姫は熱くなりそうです!!
川島浪速の碑
大陸浪人と呼ばれ、満州国創設を夢見た・・・川島浪速。
東洋のマタハリと呼ばれ、また男装の麗人呼ばれた「川島芳子」の養父浪速。
黒姫の麓・六月と言う地に早くから山荘を持ち、何かあると身を寄せた浪速。
その浪速が、晩年地元の人に教育を施し、知恵や情報を与え続けて
この地でなくなりました。その山荘蹟に浪速の碑が今も静かにあります。

( 温泉を引いていたという浪速の山荘「玄牝庵」蹟)
浪速は、その温泉水「炭酸泉を「乙女のサイダー」と言う名で売り出したとか・・・・
水と緑に恵まれた自然はかけがえのない宝物
森をはぐくみ、土地を潤す川の流れ、緑に萌える四方の山々、水と緑豊かな自然は大切な信濃町の財産です。
その輝きが永遠であるよう、美しい環境を守り後代に伝えます。

信濃町の雄大で豊かな自然は町の財産であり、人々にさまざまな恵みを
与えてくれる一方で、厳しさも合わせ持っています。人びとがさまざまな
自然の恵みを楽しんで幸せを感じながら生活していくために、私たちは、
自然と同じ生命であることを再認識して自然と共生した生活の工夫をする
ことと、厳しい自然の中でも安心安全に暮せる生活環境の整備が重要とな
ります。
生活環境の分野では、自然環境の保全と共に、自然を楽しみやすい環境
の整備、自然と調和した機能的な地域基盤の整備、快適な生活環境の整備
などの取り組みを進めることにより、“安心安全な生活をおくれるまちづく
り”を目指しています。
信濃町自然保護憲章 (昭和62年12月16日制定)
自然は、人間やすべての生物生存の基盤であります。
澄みきつた青空、緑の山なみ、清らかな水---信濃町の自然は、私達が祖先からうけついだ貴重な共通の遺産であり資産でもあり、これを保全し後代に伝えることは、私たちに課せられた責務であります。
しかしながら私達は、ともすれば自然のとうとさを忘れ、資源を浪費し、自然の調和をそこね、みずからの生活環境さえも悪化させようとしています。
私達は、今こそ自然の価値に思いをめぐらし、自然の調和をそこなうことなく、節度ある利用をはかりつつ、自然のもたらす恩恵を永遠に受けるよう最善の努力を払わねばなりません。
よつて私達は、ここに自然保護憲章をさだめます。
1、湖や川を美しくきれいにたもち、水を大切にしよう。
2、山野に木と草花を育て、貴重な動植物を大切にしよう。
3、緑り豊かな環境を作り正しく活用しよう。
4、自然に学び親しみ愛する心を育て、自然との調和を保ちましよう。
5、美しい自然大切な自然を永く子孫に伝えるため力を合わせましよう。
