生誕250年ひとはなぜ、一茶を愛するのか -一茶のふるさと信濃町-

ありのままの一茶や古き良き暮しを体感し一茶の句とネコ館長に癒される

1960(昭和35)年、一茶の墓のある小丸山に開館した一茶記念館では、一茶の生涯と文学などに関する資料を展示するほか、一茶忌全国俳句大会などの、一茶や俳句に関するさまざまな学習活動を行っています。一茶記念館
学芸員中村敦子さんは「『われときて遊べや親のない雀』など、一茶は小動物を自分自身に置き換えて表現しました。一茶の句は、わかりやすい表現のなかに時代を超えて共感できる人間らしさがあります。資料を通じてありのままの一茶を見ていただき、2万句の中から自分が共感

できる句を見つけていただけたら」と、一茶の魅力を語ります。名物の猫館長「うみ」と遊ぶのも一茶記念館を訪れる楽しみのひとつ。「自由で気まま、人懐っこいうみは、人と人との繋がりをつくってくれます」と、スタッフの河内麻希さん。

江戸時代とさほど変わらない、昭和初期までの北信濃の暮らしを伝える民族資料棟も併設しており、当時の生活を想像しながら作品を楽しむこともできます。

一茶旧宅土蔵

「一茶が好き、人との交流が好き」


一茶を通して人の輪を広げ、地元の魅力を発信
「一茶のふるさと案内人」は、「一茶が好き、人との交流が好き」という地元の人からなるボランティアガイド。初夏から紅葉の季節にかけて休日にボランティアで俳諧寺周辺を案内しています。街道歩きや人間ドラマなど、それぞれの興味に沿ったテーマで一茶と信濃町の魅力を紹介してくれるので、何度話を聞いても、地元の人ならではの深い歴史と人情味あふれる会話が楽しめます。

「一茶の魅力は?」と訊ねると、案内人の棚橋孝行さんは「人間くささと俳諧師としての偉大さ両方を兼ね備えている」と語り、初代会長の杉山直子さんは「庶民的な感覚があり身近に感じられる。案内した方とその後も交流が続くことがうれしいです」と語ってくれました。全国に一茶の輪が広がることを期待すると同時に、自分たちも活動を楽しんでいることが、おふたりの会話の中から伝わってきます。

生きとし生けるものの魂を見つめ、
自然とひとつになった一茶句の美しさ

俳人・比較文学研究マブソン青眼さん

マブソン青眼さん

喉白く 眼玄く 墓の蛙かな –マブソン青眼
(のどしろく めくろくはかの かえるかな)

フランス人のマブソン青眼さんは、日本に留学中だった高校時代に俳句に出会い、母国フランスで一茶の研究を経て来日。以来、一茶が生まれた北信濃の人情と文化に基づいたコミュニケーションを愛して日本に暮らし続けることを決めました。
「一茶のいちばんの魅力はあらゆるものごとに対して差別をしないところ。そして、晩年の家庭の不幸にめげず、生きとし生けるものの小さな魂を見つめ続けたところです。自然とひとつになる感覚をもった一茶の句は、俳句でしか表現できない余白の美しさを極めています。すべての生態のバランスを考慮するという、今の時代に求められているエコロジーの考え方の先駆けではないでしょうか」と、マブソンさん。さらに、若い世代に向けた俳句作りの魅力について「子どもはすばらしい感性をもっていて、ハッとする俳句をつくることができます。自然体
でいっぱい書いて、いっぱい捨てよう」と、語ってくれました。

生涯に2万句もの俳句を残した
小林一茶とは……

1763(宝暦13)年5月5日、信州柏原村(長野県信濃町柏原)の百姓家(ひゃくしょうや)に生まれた小林一茶は、本名を弥太郎といいました。
3歳で生母が亡くなり、8歳で新しい母を迎えますが、継母とうまく馴染むことができず、15歳の春、江戸に奉公に出されます。奉公先を転々とするなかで一茶は俳句と出会い、葛飾派の溝口素丸(そまる)や二六庵竹阿(にろくあんちくあ)に師事し、20歳を過ぎたころから俳諧師を目指しました。
30~36歳まで関西や四国、九州を行脚し、多くの俳人との交遊を経て、「たびしゅうい」や「さらば笠」を出版、ようやく俳諧師として認められるようになります。
39歳で帰郷し、父を看取ったころから、北信濃での俳諧活動を始め、弟と遺産交渉を行いながら、信濃町(柏原・古間)をはじめ、長野市(長沼・善光寺・浅野)、飯綱町(毛野・牟礼)、中野市、小布施町(六川)、山ノ内町(湯田中・横倉)、高山村などに門人を増やしていきます。
50歳の冬に帰郷し、遺産問題を解決した一茶は、52歳で結婚。長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、4人の子どもを授かりましたが、いずれも幼くして亡くなり、ひとりめの妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいます。再婚と離婚を経て、3度目の結婚をした1827(文政10)年には、柏原宿の大火で我が家を焼失し、焼け残った土蔵に仮住まいをおきますが、この年の11月19日、65歳の生涯を終えます。
一茶の没後、再々婚した妻やをとの間に次女やたが生まれ、一茶の子孫は今も信濃町に暮らしています。
俳諧師としては恵まれた家の出ではなく、家庭的な不幸が重なった一茶でしたが、自らの努力によって、江戸時代の俳諧の宗匠として晩年まで活躍し、多くの門人に庇護されながら、子どもや動植物など、小さな生命への慈愛に満ちた2万句もの俳句を残しました。
2013(平成25)年には、一茶生誕250年を迎えました。一茶生誕の地信濃町で、悠然とした大自然とともに一茶の句に親しんでみませんか。

 


一茶まつり
開催日時:5月5日(祝)

毎年一茶生誕の日に一茶記念館を会場に行われる。特設ステージでは歌や演奏、舞踊などが披露され、地元の商店街よる露店などが並ぶ。3000人ほどが訪れる一茶記念館がある小丸山麓に位置する黒姫駅からは、踊りながら会場を目指す「一茶音頭パレード」が楽しげに繰り広げられる。


一茶忌俳句大会/新そば会
開催日時:11月19日

毎年一茶の命日に一茶忌俳句大会と、名物「霧下そば」の新そばを味わうイベントを一茶記念館を会場に開催。5月から8月までに全国から募集を行う俳句大会には、1300人近い人々から5000句の俳句が寄せられる。

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